大阪夏の陣?

子供4人連れての休日2日目は、大阪城です。

と言っても出発したのは午後3時頃になってから。
昨日はだいぶ遅くなったので、みんな朝寝坊でしたから。

え?僕?僕は結構早く目が覚めるタイプなので、
午前中にはスタジオでドラムの個人練習していましたよ。

さて、うちの奥さんの妹の子(男の子)は、歴史好き、
しかも戦国時代マニアなので、大阪に来るなら大阪城!と
むしろUSJより楽しみにしてたよう。

お好み焼き屋で遅い昼食を済ませ、大阪城へ。

車で行ったことないので、行き方わからんし!

とにかく四ツ橋筋から中央大通りに入り、東へ向かいます。
馬場町のNHKが左に見えると、斜め前方に大阪城が見えてきました。

JR環状線沿いを車で走っていると、何とか駐車場を発見しました。

夕方といえど、暑いわ~。

大阪城までえっちらおっちらと歩いて向かいます。

途中で子供たちがかき氷を食べるというので休憩。

そこからさらに天守閣のほうへと登ります。

前に大阪城に来たのは、アメリカで知り合った留学生を
連れて行ったときなので、かれこれ10年前。

天守閣へと近づくに連れ、他県からの観光客、それに外国人の
観光客が目につくようになりました。

大人600円を支払って中へと入ります。
中学生以下が入場料無料というのは助かりますね。

その男の子は、楽しそうに色々見回っていました。

2階では、戦国時代の兜のレプリカをかぶらせてくれるところがあります。
(1人300円ですが)
鎧はないものの、戦国時代の衣装も着させてくれ、さらにおもちゃの刀も
貸してくれて、気分は戦国時代の武士。

ついでにうちの娘たちも兜をかぶりました。

直に兜をかぶると、重いうえに固くて痛いようでしたよ(笑)

その男の子が一番喜んだのが、大坂夏の陣を再現したミニチュア。

画像

写真は真田幸村隊です。

大阪人にとっては、忘れがたい大坂夏の陣(ホンマか?)
その中で豊臣側で奮闘した真田幸村はヒーローの一人。
徳川家康なんて狡いおっさんですわ。

おっと話はそれましたが、写真はほんの一部です。
奥行は1メートルほど、横は5メートルほどの大きさに、大坂夏の陣が
再現されているのです。なかなか壮観ですよ。

8階まで階段!なんて文句を言っていたうちの奥さんや娘たちも
結局、夢中になって各階を見ているうちに、8階の展望台まで
たどり着きましたよ。

1階に下りる頃には、閉館の時間。

帰りは新世界に寄って、串カツ食べてから帰宅しました。

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この記事へのコメント

逍遥軒
2011年08月21日 23:44
私は子供の頃に、一度だけ大阪城に登りました。
「秀吉って凄いなー、自分のお城にエレベータ設置するなんて」
ってボケは、当時からのお約束ですよね。

さて、戦国のマニアックな話としては、
実は真田幸村って幸村じゃないんです。
なんのこっちゃ?
実はですね、
史実の幸村は生前一度も己を「幸村」と名乗った事はなく、
彼の本名は「真田信繁」なんです。
じゃあ何故「真田幸村」って事になってるのか?
聞いた話では、
それは立川文庫・真田十勇士シリーズの影響らしいんです。
かの名作群は、実在人物をモデルにした登場人物が活躍する
フィクションでして、作中では十勇士の統率者として、
実在信繁をモデルにした幸村が登場。
で、ソッチの方で有名になってしまい、信繁の名が忘れられて
幸村の方が世間的に定着してしまったんですって。

因みに「信繁」とは、信玄入道武田晴信の次弟にして副将格だった
武田信繁(川中島で戦死)の武名にあやかって、
父・真田昌幸が付けた名前との事。
そして私逍遥軒は、武田信繁の弟(即ち信玄の弟でもある)
武田逍遥軒信廉に因んだ名前でありんす。
蛇足ながら実在の逍遥軒は、
勇猛な兄達とは正反対のヘタレでありました!
Husky
2011年08月24日 12:59
逍遥軒さん

戦国時代に関する知識はさすが相当なものですね。
うちの奥さんの妹の子と会わせたいですね。
2人で延々と戦国時代について語れそうだもんなあ。
その子も、自分以上に知識のある大人にはまだ巡り会ったことがなさそうなので喜ぶだろうなあ。

それにしても幸村がフィクションで使われていた名前だとは知りませんでした。
この話題から逍遥軒さんのハンドルネームまで発展するとは、意外と奥深い記事を書いたなあ、と自己満足(アホや)

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